山月記を読んで

私はこの山月記を読んで純粋に面白いと思いました。
持論ですが、この李徴は人喰虎になったと書かれていますが、本当は狂人の比喩として虎が使われたんじゃないかと思っています。端的に言えば、彼はサイコパスか多重人格かなんかの精神病にやんでしまったんじゃないかと思っています。なぜそう思ったかいくつか例を挙げたいと思います。彼は、生まれてからずっと天才として扱われていました。博学才穎だから若くして進士にも合格して、名声を広めました。そして、彼は自信過剰のあまり、詩家となりました。だがしかし、その結果家族を養うこともできない社会人としては低レベルどころか、社会人失格ほどに扱われました。再び、官吏として再就職をするが、やはり自尊心はズタボロになったはずです。病むに病んだ結果、夢遊病者のように夜中発狂して殺戮者となってしまったんじゃないかと思います。ここで、重要なのが、誰も虎となった李徴を見ていないということです。円3を襲いかかろうとした時だって、円3たちは残月の光をたよりに歩いていたぐらいの暗さなので、見えるはずがありません。李徴がいう「我が酷悪な今の外形」とは、昼間に殺戮を繰り返したときに服に付着した返り血などを見られたくない、否、純粋に殺戮者としての「今」の姿を見られたくないだけなのかもしれません。そして、李徴はこうも言っています、「一日の中に必ず数時間は、人間の心が還って来る。」これもどういうことかというと、多重人格の一人のサイコパスとして一日のほとんどを殺戮を繰り返しているが、時々、元の自分が還ってくると言いたいんじゃないかとも思います。最後に私が思うに、人間は虎になんてなりません。それに、この話の著者である中島敦氏が人間が虎に変身するようなファンタジーな話を書くとも思えません。きっと、人間の根本的にある憎悪や嫉妬、色々な感情を具現的に表現した場合、それが虎という恐ろしい生き物と酷似してるんじゃないかなと思いました。非常に考えさせられる物語だと思いました。